1956年 (昭和31年) 10月31日 水曜   前の記事 目次 次の記事
 ポールの母メアリー 死去


ポール (Paul) とマイケル (Michael) の母、メアリー・パトリシア・マッカートニー (Mary Patricia McCartney) はこの日47歳で他界する。
  

あの日のことはよくおぼえていない。一つだけ覚えているのは、我々の誰かが、誰だったかも忘れたが、ばかなジョークを飛ばしたということだけだ。

 

マイク・マッカートニー

  
メアリーは乳癌を患っていた。そして癌の転移を防ぐ手術の後に塞栓症で死亡した。
  

僕が最初に言ったのは、「彼女の金無しで、どうやっていくんだ?」

 

ポール・マッカートニー

  
メアリーは1956年11月3日、リヴァプールのフィンチ・レーン (Finch Lane, Liverpool) にあるユー・ツリー共同墓地 (Yew Tree Cemetery) に埋葬される。
  

14歳の時のママの死は、僕のティーン時代での大きな衝撃だった。彼女が癌で死んだことは後から知った。その時はどうして彼女が死んだのか知らなかったんだ。

ママは僕達に上品な発音で話すことを望んでいた。女王の純正英語 (Queen's English) に憧れていたんだ。僕が最も後悔していることの一つは、彼女の話し方を一度つついたことだ。彼女は "アスク (ask)" の "ア" を伸ばして "アースク" と発音してた。僕は「それはアスクだよ、ママ!」と言ってからかったんだ。彼女が死んだ時、「このバカ野郎!どうしてあんなことをしたんだ!どうしてママをけなす必要があったんだ!」と心の中で叫んでいたのを覚えているよ。今になってようやくその罪の意識を克服できた気がするね。

ママの死は親父を壊した。親父が泣くのを聞くことは僕にとって最悪のことだった。その以前に親父が泣くのを聞いたことは一度もなかった。それは家族への大きな打撃だった。女や子供、あるいは自分自身が泣くのはよく目にする光景だし、その理由も説明できる。だけどそれが父親となると、「何かが本当におかしくなっている」という感じを持つし、あらゆる物事に対しての信念が揺さぶられる。僕はそのことが自分に影響を与えてはならないと意を決した。そして前進した。自分の周りに防御バリアを張ることをあの年頃に覚えたんだ。

ママの死はジョンと僕を結ぶ強い絆となった。彼も早くにママを失っていたからね。僕らはふたりとも何とかしなければならない感情の騒乱を抱えていた。しかもティーンエージャーとしてはそれを急いで処理しなければならなかった。僕らは人間には口に出したくない事があることを理解していた。しかし僕らはそれを笑うことができた。なぜなら僕らはどちらもそれを経験してきていたから。これは誰でもOKじゃない。僕らは顔では死を笑うことができたんだ。ジョンは地獄を経験してきたけど、若者は概して悲しみを表に出さないものさ。後年にたまたま1度か2度、その悲しみが襲ってきたことがあった。ジョンと僕は座って一緒に泣いたものだった。そんなに度々ではなかったけど、あれは良かったよ。

 

ポール・マッカートニー
アンソロジー

 

  

  

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